[] 雑誌で結果を知る今日この頃。


エンドリライブから帰ったら、ソニマガより着。
おおうっ、「グラ特」*1が来とるわい。すっかり忘れてたい。
で、コーイチぽんのページを早速…ではなく、
川井ちゃんのページを見てしまうのであった。
これは昔、毎号キチンと買ってた頃がそうだったから。
10年近くの時を経てもなお、このクセが生きてるとは、
恐るべし(違)。


以下長いので収納。







で、コーイチぽんの連載ページ。
今回はF1を語るときには避けて通れない*2
ナショナリズムの話題でござんしたね。


1ヶ月以上前、偶々、公共放送にチャンネルを合わせたら、
フェラーリが映し出されてて、は、チャンネル間違えたか、
と一瞬ピヨピヨしてしまったんだけど。
しかもスピンターンして、走り出すし。
ワケ分からずにその先を見てたらようやっと、
トリンピックの開会式、と分かって納得。じゃなくて。
流石イタリア懐深ぇなあ、
やっぱイタリア≒フェラーリやな、という思いを
新たにしますたよ。
あの時のドライバーはシュー兄じゃなかったんだろけど。


で、コーイチぽんはこの例を出して、もし東京で…って
続くわけですが。
まあ確かに日本ではあり得ないだろうけども、
それ以前にイタリアだって別にフェラーリ
イタリアの全て!万歳!ってわけでもないからなあ。
昔、ミラノでフェラーリの旗持って歩いてたら*3
フェラーリ? あんなもんより
ミラン*4の方が数倍すごいぜ!」
って言われたモン。
全世界の多くの人たちが注目している中で、
イタリアらしさを分かりやすく表現しようとしたら、
その内の一つにフェラーリで、F1ってだけの話だと思う。
反対に、F1ってのは、
日本らしさを表現する要素ではないっていうだけの話。


じゃ、
F1の世界で日本企業があれだけ参加していてどうして、
という話になる。
コーイチぽんはF1世界での日本企業等の紆余曲折について
時系列で語ろうとして途中で中断しちゃってそれが悲しい、
というような表現をしてますね。
確かにF1が好きな人にとってそういう反応は悲しいけど、
アテクシなんぞは、
興味のない人からすれば、歴史を教えられたところで
「だから?」という反応になるのは当たり前だよなあ、
などと思ってしまう。


だって過去はカコ。紆余曲折があったって、
「今」、F1の世界で「日本」がどうかが重要だと思うから。
オールジャパンで参戦してスゴイ!とは言うけど、
別にそれは史上初の快挙ではないもんなあ。
遡れば数十年前にそんな「快挙」はあったわけで。


もうF1中継が始まって20年経とうとしてる時代です。
「参加するだけに」意義はないのだと、
個人的に思うのです。
「結果」を出さなければ意味がない、と
個人的に思うのでありますですよ。


だからこそ、
今の状態でもし盛り上がってもなあ…と、
天の邪鬼なアテクシは、思うわけでごじゃます。
つまり今の世間のF1に対する反応ってのは、
至極真っ当、当たり前なものじゃないかと。
だって「結果」出てないもんね。


というわけで、
「結果」を望むにはまだ時間が必要な今日この頃、
レース関係者の次に、影響力のあるコーイチぽんに、
いろんな媒体でF1の魅力を伝えて頂きたいと、
勝手にお願いしたいのでありますた。
…セナと光源氏さんを同列にしないで…是非(泣)。

*1:「F1グランプリ特集」のこと。長いので省略しますた。「座り」がよければ、近々「用語集」に載せます。

*2:個人的考察。

*3:ある意味アホウだな。

*4:言わずとしれたセリエAのサッカーチーム。